上山琥珀工芸について

ABOUT

岩手県久慈市で昭和54年に創業、自ら原石を採掘し加工。
縄文時代から装飾品として使用され、「祀りごと」などにも多く利用されてきた久慈産の琥珀。古来久慈地方の農家では、焚き付けや虫よけとして燃やしていましたが、新たに「久慈産の琥珀」による装飾品として開発してきました。
自ら採掘をして縄文の古代から受け継がれてきた久慈産の琥珀を現代の装飾品として開発してきました。

日本の純国産の琥珀を採掘から加工、販売まで行います。

VISION太古から現代へ大切なものを届ける

自社の坑道から採掘する「純国産」琥珀の原石。
伝統的な加工技術を駆使したプロダクト。
そして琥珀の文化の発信。

私たち上山琥珀工芸は、9千万年前から伝わる地球の貴重な資源の魅力を久慈から全国・世界の人たちと共有できるようなモノづくりをしていきたいと思っています。

PROFILE代表・上山 昭彦

1957年岩手県久慈市生まれ。

琥珀のことなど全く知らず学生時代を過ごし、普通のサラリーマンとして日々を生活していた。会社勤めを始めたころ、父菊太郎が役所を辞め久慈の琥珀を採掘し始めたと聞いていたが、就職し始めで自身の仕事が精いっぱいであり、父親の仕事、久慈の琥珀のことなど考えることもなかった。 しかし、菊太郎が久慈の琥珀を家業とし始めて十年ほどたったころ、菊太郎が病気で入院したことをきっかけに、久慈に戻り「上山琥珀工芸」を継ぐこととなる。
当初は、琥珀の採掘にしても琥珀を研磨することに関してもさっぱりわからず、菊太郎に師事し坑道の掘り方や琥珀の研磨方法を少しずつ習得していった。
平成19年〜令和元年久慈市議会議員を務める。

HISTORY

久慈産の琥珀の起源は、太古の昔約9千万年前、恐竜が繁栄していた時代のナンヨウスギの樹液が化石となったものと言われています。京都や奈良周辺の古墳時代の遺跡からは、久慈産の琥珀が多数出土していて、移動手段の乏しかった時代に陸路であれ海路であれ、千キロ以上離れた近畿周辺の権力者の元へ久慈産の琥珀が移出され、厄除けやアクセサリーなどに使用されていたようです。
もしかして、皆さんご存知の卑弥呼も久慈産の琥珀を権力の象徴として身に着け、祀りごとを執り行っていたのかもしれません。

当社は上山菊太郎が昭和54年に創業した会社です。現在のようなアクセサリーとしての久慈の琥珀の歴史はまだ30年程。
戦時中軍需物資として利用されていた琥珀採掘が途絶え四十数年が経過し、久慈の琥珀が忘れ去られようとしていた時、上山菊太郎が、琥珀に生涯をかけようと勤めていた市役所を定年を待たずに退職。「久慈産琥珀はどこにもない素晴らしい色だから、装飾品として成功する」という信念のもと、独自に研究開発を続け、久慈市の特産化に大きく貢献しました。

昭和59年には日本初といわれる虫入り琉泊を発見、62年には久慈産琥珀の原木とされる南洋杉の化石入りの琥珀をも発見。
「久慈の琥珀はこの地方の人の生き様に似ている。掘り出して磨いた艶やかなぬくもりのある色合いは、わが古里のものだ。古里の“人となり”と心情を表している。私も久慈の琥珀のようなものだ。」と事あるごとに話していました。
ちなみにNHKの朝ドラ「あまちゃん」に出てくる「琥珀の勉さん」は上山菊太郎がモデルとなっています。

PROCESS採掘編

当社が採掘している琥珀坑道は、山の中にありますが、かろうじて軽トラックが進入していけるような場所で、数年前まで電気は自前の発電機を用意し発電、坑道の中の明かりやポンプの電力を確保していました。山中の坑道まで足を運び、発電機を始動させないと電気が使えません。台風などの大雨時に坑道へ行けないことがあると、排水ポンプを動かすことが出来ず、豪雨により坑道内へ雨水が流入し、琥珀採掘坑道全体を水没させてしまうことも何度かありました。

狭い坑道を琥珀が眠る地層まで掘り進みます。

琥珀が含まれる地層は、いわゆる「岩」のような岩盤の硬い地層ではなく、土が押し固められた地層で、掘り出して空気に触れていると1~2カ月で畑の土のように柔らかい「土」になります。でも、生の地層を掘るときは、やっぱり相応に硬いです。当初、上山菊太郎が採掘し始めた頃には、電動工具はまだ無く、鏨(タガネ)とハンマーで地層を削り掘り進めていました。トンネルの中なので明かりが必要ですが、始めはカーバイトを使用したカンテラを使用していましたが、ほどなく発電機を導入し裸電球を照明としました。電気を使用できるようになったことから、電動のドリルハンマーも使えるようになり、体力的に採掘はずいぶん楽になったと思われます(でも穴掘りは大変)。

琥珀が含まれる地層は、厚さが50cm程しかないため、採掘は地べたに座り込んで行います。琥珀の見つかる量や琥珀が含まれる地層の雰囲気などを見ながら採掘しますが、琥珀センサーなどないため勘に頼って掘り進めます。一日中掘っても装飾品として使用できる琥珀が見つからないこともありますが、数キロ単位でまとまって採掘できることもあり、そんな時はほんとにうれしいものです。

PROCESS加工編

琥珀の原石は塩水に浮くくらい非常に軽く柔らかいことから、加工の第一段階は、琥珀の良い部分とひび割れた部分を確認するため、木の皮のように変質した琥珀の表面を全体に1~2mmの厚さで削り取ることから始まります。
硬さは人間の爪くらいとそれほど硬くないので、大きめのナイフやノミなどを使用して琥珀の表面を削ります。その後、琥珀原石の中身の色合いやクラックの状態が分かってきますので、意図的にひび割れに沿って割ったり切ったりし、研磨加工する大きさに小割します。
出来るだけひび割れは残さないように研磨します。ひび割れがない良質の琥珀は、ほんとに希少なのです。

小割した琥珀原石は、大きさや色合いごとに区別し、受注時に研磨するものと通常の商品に研磨するものと分けて加工を行っていきます。
久慈の琥珀は、同じものが一つもありません。同じ一つの原石でも、場所によって色合いや模様が違います。研磨後に色合わせを行うのが本当に大変です。

磨きは他の宝石などと同様に、目の粗い砥石から順番に目を細かくして表面を削っていくのが基本です。琥珀が他の宝石と違うのは、柔らかいという点、ほとんどの宝石はその辺の石ころ、又はそれ以上に硬いものばかりです。
琥珀は有機物であり、硬さは爪と同じぐらい、おまけに脆いので、ピカピカに磨き上げるまでには相当気を使わなければ、途中で割ってしまったりすることがあります。磨くために使用する砥石は、荒い目の砂岩のような砥石も使いますが、現在ではダイヤモンド粉末を焼き付けた、何種類かのダイヤモンドディスクで、目の大きさを分けながら削っていきます。
久慈の琥珀は、海外の琥珀に比べ特にも脆く熱にも弱いので、琥珀をそのまま砥石に当てて削っていくと、摩擦熱で割れてしまうことがあるので、砥石に水を垂らしながら、琥珀に摩擦熱が伝わりにくいようにして削っていきます。形を目の細かい砥石で整えたら、仕上げには羊毛のバフに研磨材を塗り、艶出しを行います。この時も高回転で回るバフにより摩擦熱が加わるので割らないように細心の注意が必要です。
やっと、おおよそ九千万年前の地層の中から採掘した石ころみたいな原石が、久慈産琥珀の特徴である有機物特有の艶やかな色合いを放つ「久慈の琥珀」となります。

全ての琥珀は手作業により一つ一つ磨き上げられ、自然な形に磨き上げるのも難しいのですが、勾玉やまん丸い球状の玉などは、形を整えなければならず縦横の厚みのある原石が必要となり、さらに難しくなってきます。
原石を磨きあげたら、アクセサリーとして使用するための金具等を取り付けますが、ほとんどの場合琥珀に穴をあけ金具を差し込みます。硬い石に穴をあけるのは難しいのですが、柔らかい琥珀に穴をあけるのもまた技術が必要となります。琥珀は柔らかく脆いことから、穴をあける際に十分に気を付けないと、せっかく時間をかけて磨き上げても最後に金具を取り付ける際に割ってしまうこともあり、一個のアクセサリーを完成させるだけでも大変気を遣うことが多いです。